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堕ちたエース

 帯広は乳白色の霧に包まれた幻想的な大晦日の朝だった。うんざりしながら2日連続の雪かきをした人も多いことだろう。疲れた。
 ダルビッシュのように才能に恵まれながらも努力を惜しまない選手を応援できることはファン冥利に尽きるが、一方で堕ちていく選手の人生模様も興味深い。
 2004年、移転元年のスタメンのうち、野手で現在もファイターズに残っているのは、坪井、高橋信二、金子の3人だけ。先発ローテーションは金村―ミラバル―正田―ガンちゃん、入来、江尻、押本が基本だった。
 00男・ミラバルは開幕投手も務めた優秀な助っ人だった。‘04年は2ケタ勝利を挙げてローテ2番手の仕事をきっちりと果たしたが、‘05年、突然の大不振に陥り解雇。消息は不明だ。
 ローテ3番手の正田は夏の甲子園の優勝投手でドラフト1位。3年目の‘02年には新人王を獲得というエリートコースを歩んだ。歯車が狂いさえしなければ、この正田が今のファイターズの不動のエースになっていたかもしれない。正田は移転元年の‘04年に8勝をマークしたが、その後、ぷっつりと勝てなくなり、阪神へ売り飛ばされた。だが、阪神でもいいところがなく‘09シーズンは台湾プロ野球へ落ちて行った。台湾ではローテーションを守り最多勝と最多奪三振のタイトルを獲得したようだが来シーズンのことは未定のようだ。正田は立派なホームページを持っていて、ブログもほぼ毎日更新している。元エリート投手が綴るこのブログは苦悩に満ちた暗く陰鬱なトーンに彩られている。
 移転元年のファイターズでは打の主軸が小笠原、エースは金村だった。
 金村はピッチャーとしてのピークと北海道移転が重なったこともあり、北海道の新しいファンに強いイメージを残した選手だ。‘04年、‘05年と連続して13勝をマークし、新生ファイターズ不動のエースとして君臨した。
 だが、ファイターズが黄金時代を迎えた‘06年を境にして、皮肉にも金村の成績は急激に下降していく。
 今にして思えば、日本シリーズの涙の登板がエース金村最後の晴れ姿だった。
‘06年、金村が9勝に終わる一方で、2年目のダルビッシュが12勝、‘07年は金村がわずか5勝に対してダルビッシュは15勝を挙げてMVPを獲得した。残酷なコントラストを見せて、ファイターズのエースは世代交代した。
 エースの座を陥落した金村は功績を認められることなく、さっさとお払い箱になり、阪神へ売られた。
 阪神へ移籍した金村は、パ・リーグの元エースということで期待を持たれたが、2シーズンでわずか1勝。中継ぎ降格という屈辱的な扱いを受けている。ファイターズ時代、舌禍事件を起こしたほどの自信家である金村の「エースのプライド」はずたずたに引き裂かれていることだろう。同じくファイターズから阪神へ行った下柳とは完全に明暗が分かれた。
‘10年は、元エースにとって選手生命を賭けた1年となる。

白い朝

※これをもちまして本年最後のエントリーとさせていただきます。にほんブログ村、人気ブログランキングへの応援、誠にありがとうございました。
 おかげさまでブログ村のファイターズ部門は現在6位になりました。
 ここから上位へ食い込むには、互助会的な組織票が必要なのかも知れませんが、来年は善良なファイターズファンが眉をしかめるようなことをもっともっと書いて1位を目指します。
 皆様、良いお年を。

        

テーマ : 北海道日本ハムファイターズ - ジャンル : スポーツ

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